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朝早めに目覚め、早速朝食を取りに下へ向かいました。
朝食は至って普通。 まあ、こんなものでしょうか・・・ さて、出発です。 まずは、前日たどり着いたホテルの前景。 前景だけ見ると大したホテルには見えませんが、そもそもそんなに大きなホテルでないことは確かです。 取りあえず、部屋に冷房がついていただけで満足。 さて、今日は実質初日ということで、まずは小手調べ。 最初の目的地であるサンタ・マリア マッジョーレ教会へ徒歩で向かいました。 テルミニ駅の北の広場を横切り、太陽を避けながらてくてく南の方へ・・・ 途中で、ある建物を発見 オペラ座(Teatro dell’ Opera)とのこと。 まあ、パリのオペラ・ガルニエと比べれば「ヘ」みたいな建物ですが、1880年に建てられたバロック様式の建物で、それなりに歴史があるようです。 さて、ここからトリノ通りをひたすら南の方向へ歩き、ようやくお目当てのサンタ・マリア マッジョーレ教会にたどり着きました。 パリのノートルダム寺院とはまた違った雰囲気を持つ教会ですね。 サンタ・マリア マッジョーレ教会は、ローマ大聖堂の一つで5世紀に創建されたという、かなり歴史の長い建物です。 現存する日本最古の木造建築である法隆寺の金堂、世界最古の木造建築物でもある五重塔ですら607年建設されましたが、670年に焼失後再建されています。 東大寺に至っては8世紀前半の建物です。 確かに木造建築物は火に弱いとはいえ、これだけの建物が幾度となく修復されているとはいえ、このような形で残っていること自体が驚きです。 そう考えてみるとパリのノートルダム寺院やルーブル美術館でさえ、歴史の長さという点で考えた場合、色褪せて見えます。 さて、中はというと・・・ 画像が少しぼやけていますが、ご容赦ください。 フランスやドイツの大聖堂と比べて明らかに違うのは教会の土台を支えている柱の多さ及び円柱という形状です。 どちらかというと、簡単な造りであり、逆に歴史を感じさせるような気がします。 お次はこの写真 暗くてフラッシュがたけなかったため、あまりうまく撮れませんでした。 まあ、これはごくごく「普通」の風景です・・・(汗) それから、 これらは流石に綺麗ですね。 このような大きな大聖堂や教会の側室(とでも言えば良いのでしょうか・・・)の天井にはよくこのような飾りがありますが、ここの飾りはなかなかのもののように思えます。 もっとも、金色という色に騙されているかもしれませんが・・・(汗汗汗) さて、中もそろそろ飽きてきたので再び外へ。 今度は南側から教会を撮影しました。 こちらの眺めもなかなか良いです。 表と裏でこんなに雰囲気が変わる教会も珍しいのではないでしょうか? 何か、それにしてもお年寄りの方々が多いですね・・・まあ、若者はこんなところを普段見に来ないか・・・(苦笑) さて、次の向かったのはボルゲーゼ美術館。この美術館は、ボルゲーゼ公園というテルミニ駅からは中途半端に離れている場所にあります。 しかも、ここサンタ・マリア マッジョーレ教会からはかなり遠い・・・。 既にかなり暑くなってきていたのですが、目的地の近くにはメトロの駅もトラムの駅もなく、バスの乗り方やルートもよくわからなかったため、我々夫婦はふうふういいながら炎天下をなるべく避けるように歩いて目的地へ向かいました。 途中でこのような巨大建築物を、とある広場の隅に発見。 画像の看板にも書いてありますが、ここは共和国広場(Piazza Della Republica)、そしてそびえたっている茶色の建築物はディオクレディアヌス帝の浴場跡です。 ディオクレディアヌス帝と言えば、あの有名な五賢帝時代の後の皇帝です。 この皇帝は紀元後300年頃に生きていましたが、その頃に建てられた建築物が現代のローマ市の中心部で、さも当然の如く建っているというのは、非常に不思議な気持ちです。 ローマが「遺跡の都市」と呼ばれる理由がようやくわかってきたような気がしました。 ちなみに、次の画像は広場の反対側です。ここにはごくごく「普通」の白い建物がたっています。(もっとも日本に住んでいる日本人の尺度からすれば全く普通には見えないでしょうが・・・)(苦笑) 実はこのディオクレディアヌス帝の浴場跡を一部利用して、ミケランジョロが設計したサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。これがその教会の看板です。入口の上にあります。ついでの入口付近の像も撮影しておきました。 内部はというと、かなり立派です。 古代ローマ帝国の代表的な建築物である浴場跡を利用してこんな教会を建てるとは・・・なんという贅沢な造りなのでしょうか・・・ さて、教会を出ると、別の名前の場所に登場しました。 これが、本来の浴場跡を示している場所です。 大部分は教会に取られているため、あまり「浴場跡」の内部は残っていませんし、説明書きもなんとなくそっけないものでしたが、それでも下の画像のように、なんとなく浴場のような、古い感じの雰囲気を感じることができます。 そして再び浴場跡を出て、今度は別の通りから撮影。 更に驚いたことに、今は浴場跡の真ん中を大きな通りが走っているため、切り離された浴場跡の部分がぽつんとこのように残っています。一番最後の写真を見れば良くわかると思います。 いくら後世のキリスト教徒たちが多神教のローマ帝国を忌み嫌ったとはいえ、何もここまでしなくても良いのでは、と思うのですが・・・このような巨大な建築物が当時は邪魔だったのかもしれません。(今であれば流石のイタリア人たちも少しは考え直すとは思いますが・・・) さて、続きは次回に(^^)
by witchmountain
| 2008-08-03 02:05
| フランスでの生活
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