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さて、いよいよベルリン編へ進みたいと思います。
今回の夏休み旅行は少し変則的な旅程になっています。 まず最初の3日間はプラハで泊まり。 次にパリに一回戻って空港近くのホテルで一泊。 それから再度ベルリンで3日間泊まり。 もともと、プラハのみの旅行のしようと考えていたのですが、嫁さんがどうしてもベルリンへも行きたいということで、ついでに行くことになりました。 というわけで、ベルリンへ出発したのは朝8時過ぎのフライト。 今回は、シャルル・ド・ゴール空港のすぐ近くのホテルから直行したので、移動時間は殆どかかりませんでした。うーむ、結果的にはなかなか良い旅程だったということになります。 ベルリンに到着したのは朝10時過ぎ。 ちなみに、ベルリンという場所はこんな市です。 ----- Wikipedia より引用 ----- ベルリンは、1871年のドイツ帝国成立から1945年の第二次世界大戦の終結まで、ドイツ国の首都であった。戦後の冷戦時代には東西に分断され、東ベルリンは旧東ドイツの首都、西ベルリンは事実上旧西ドイツの州の一つ(名目上は米英仏共同管理区域)であった。1990年の統一以降は、再び統一ドイツの首都となった。ドイツ最大の都市であり政治の中心地であるが経済の中心地はフランクフルトとされる。 面積は約890平方キロメートル、人口は約340万人 ----- 引用終わり ----- 人口は約340万人と、パリ市内(約217万人)よりも多いものの、パリ都市圏(計約1,184万人)と比べると、こじんまりとしています。 ベルリンと聞いて私が思い浮かべるのは一にブランデンブルグ門、二にベルリンの壁で、後は特に印象はありませんでした。 ただし、昔のドイツの都だったことから、古めかしい大きな建物がかなりあるのではないかという予想は立てていました(パリに赴任する以前からのイメージ) 結果的には半分当たったと言えなくもなかったということになりました。 さて、ベルリンの空港は3つあります。 ①ベルリン・テーゲル国際空港(Tegel International Airport = TXL) ②テンペルホーフ空港(Tempelhof International Airport = THF) ③シェーネフェルト空港(Schönefeld International Airport = SXF) このうち、シェーネフェルト空港は、現在拡張工事中で、2011年にベルリン・ブランデンブルグ国際空港として生まれ変わり、新国際空港の開設に伴い、テーゲル国際空港は閉鎖される予定とのことです。 今回、我々夫婦が到着したのはテーゲル国際空港。 まあ、割合こじんまりとした空港です。一国の首都の表玄関の空港としては成田やCDGと比べると決して大きいとはいえません。意外でしたが。 さて、空港から、X11というバスで近くのU-Bahn(地下鉄)の駅まで移動し、そこから乗り継ぎ、降りた駅から迷いながら歩いてゆくうちに、お目当ての予約していたホテルが見つかり、早速チェック・インしました。 ホテルの写真は残念ながらありませんが、このホテル、何気にS-BahnのCharlottenburg 駅の近くで、便利な場所にあります。 ホテルの中の部屋も綺麗だったので、満足。 さて、まずはS-Bahnの駅の写真及び列車の写真から。 S-Bahnの列車は古いのですが、ドイツ製とあって頑丈な作りです。 乗り心地は優雅さにはかけるものの安定感は抜群、という感じでした。 駅に関しては、まあ欧州の駅というか、簡素な感じです。日本のように自動販売機もなければ売店もない。ただ、駅の表示板が素っ気無くあちこちにあるだけです。いってみれば、日本の田舎のローカル線の無人駅をとことん大きくしたような感じでしょうか。 が、まあこのような駅もある意味自然で良いのでしょう。(と、最近は思い始めています)。 お次はトラム(路面電車)の写真。ちなみに、この路面電車はベルリン近郊の都市、ポツダムで撮影しました。 路面電車は、欧州のどこのメジャーな都市にもあるので、このポツダムの路面電車に関して特にどうのこうのという感想はありません。 強いて言えば、電車の前面の形が、フランスやベルギー(そして直前に訪問したプラハ)のものよりも丸みが少なく、直線的な感じが、違いと言えるでしょうか? もっとも、ポツダム駅に関して言えば、駅の真ん前にどでんと置かれている電光掲示板の方が私の目を引きました。下の写真です。 ポツダムは小さな都市なので、ポツダム駅からほぼすべてのトラムとバスが出発、もしくは経由しています。これらのトラムやバスの運行状況がこの電光掲示板に刻々と表示されるので、慣れてくるとかなり便利です。 ちなみに、ここまでおおがかりな電光掲示板を路面電車で運営している国は、私の知る限り、今のところドイツだけです。流石はドイツ、といった感じです。 ちなみに、ポツダム駅の写真はこちら。 ポツダムへは、ドイツ滞在3日目に訪問しましたが、ベルリンからS-Bahnで、30分少しでつきます。 この町は、所謂ポツダム宣言で有名です。 ----- Wikipediaより引用 ----- ポツダム宣言(ポツダムせんげん、The Potsdam Declaration) 1945年7月26日のポツダム会談での合意に基づいてアメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、大日本帝国に対して発した第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)に関する13条から成る降伏勧告の宣言。 宣言を発した各国の名をとって「米英支ソ四国共同宣言」ともいう。1945年8月10日、大日本帝国はこの宣言の受け入れを駐スイス大使館経由で連合国側へ申し出、またラジオトウキョウを通じてアナウンス。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で昭和天皇・政府全権の重光葵と大本営全権梅津美治郎が連合国への降伏文書に調印した。なお、降伏文書として宮城県白石市の白石和紙が用いられ、マッカーサー元帥が「紙は千年持つそうだが、この条約も千年持つように。」と言ったとされる。 ----- 引用終わり ----- まあ、言ってみれば日本にとっては歴史的に因縁のある場所ではありますが、この町はポツダム宣言だけの場所ではなく、ドイツの歴代皇帝が好んで過ごした城がいくつもあるところです。 昔のドイツの雰囲気を味わう観光をするのにはもってこいの場所と言えるでしょう。 次回は、ベルリン訪問の様子を書きたいと思います。
by witchmountain
| 2007-10-28 07:55
| フランスでの生活
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