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Japan
何で日本って「Japan」なんでしょう?
マルコ・ポーロの責任大。 でも何気にNipponよりも外人にとっては発音しやすいから、良いのかな? ローマ、フィレンツェなどイタリア旅行情報サイト:アーモイタリア ライフログ
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かなり気になるニュース記事をネットで見つけたので、貼り付けておきます。
http://www.opednews.com/articles/opedne_richard__071023_bushco_s_covert_atte.htm 内容は、「米国政府は、秘密裏にイラク政府に対して石油に関するある法案を呑ませようとしている。」とのこと。 具体的には、「イラクのDevelopment and Production Area(開発生産地域)で生産される石油のうち、開発生産地域で生産している会社はイラク石油会社その他権益者に対し、生産量の12.5%を現金で払う。」という内容です。 「開発生産地域で生産している会社」には「Foreign(外国)」のものも含まれますので、この法案が通ると、外国の石油会社がイラクにおける石油を100%自ら自由に生産し、輸出できるということになります。 このネット記事には、法案のドラフトらしき原稿へのリンク先もありました。 この法案のドラフトを作成したと思われる団体名「Council of Ministers Oil and Energy Committee」は、今のイラクの現状からして米国の傀儡委員会であることは間違いないでしょう。 もし、この記事が事実であるとすれば、米国のイラク侵攻はグリーンスパンFBR前議長がいみじくも言っていたように、結局のところWMD破棄でも民主主義の確立でもなく、石油のため、ということになります。 言ってみれば、米国も結局のところ、石油枯渇を見据え、中国やロシアと同じようなあからさまな殖民地主義を実践する帝国に完全に成り下がってしまった、ということになります。 (湾岸戦争においてサウジに軍隊を駐屯させ始めたあたりからその兆しは既に見えていましたが) いかに、米国が「自由」やら「民主主義」やらの旗手として偽善を振りまこうとしたところで、世界はもはや米国の言うことを聞かないでしょう。 今後の問題として、 ① イラク国民が自国領土内で行われようとしているこの暴挙を見逃すのか?(自治が今のところ約束されているクルドはともかく、スンニとシーアのアラブ系イラク人はどうか?) ② 周辺諸国が米国の影響力を排除しようとするか?(トルコ、及び、イラン、及び、原理主義勢力) ③ 米国が仮に民主党政権になったとして、本当にイラクから撤退するのか? ②に関して言えば、「米国がそんなことをするなら、我々もイラクのクルド地域を支配してKDDを叩き潰すと同時に石油を支配したい(一石二鳥)」と考えたとしても、決しておかしくはありません。 それにしても、日本はいつまでもこのような横暴な振る舞いを続けている米国と付き合い続けるつもりなのでしょうか? 今の米国は放たれた暴れ馬のようで、非常に危険な存在になりつつあります。 ロシアや中国が暴れるよりはまだマシなのかもしれませんが、このままでは本当に大戦争がおきかねません。 ■
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by witchmountain
| 2007-10-29 00:53
| 世界
さて、いよいよベルリン編へ進みたいと思います。
今回の夏休み旅行は少し変則的な旅程になっています。 まず最初の3日間はプラハで泊まり。 次にパリに一回戻って空港近くのホテルで一泊。 それから再度ベルリンで3日間泊まり。 もともと、プラハのみの旅行のしようと考えていたのですが、嫁さんがどうしてもベルリンへも行きたいということで、ついでに行くことになりました。 というわけで、ベルリンへ出発したのは朝8時過ぎのフライト。 今回は、シャルル・ド・ゴール空港のすぐ近くのホテルから直行したので、移動時間は殆どかかりませんでした。うーむ、結果的にはなかなか良い旅程だったということになります。 ベルリンに到着したのは朝10時過ぎ。 ちなみに、ベルリンという場所はこんな市です。 ----- Wikipedia より引用 ----- ベルリンは、1871年のドイツ帝国成立から1945年の第二次世界大戦の終結まで、ドイツ国の首都であった。戦後の冷戦時代には東西に分断され、東ベルリンは旧東ドイツの首都、西ベルリンは事実上旧西ドイツの州の一つ(名目上は米英仏共同管理区域)であった。1990年の統一以降は、再び統一ドイツの首都となった。ドイツ最大の都市であり政治の中心地であるが経済の中心地はフランクフルトとされる。 面積は約890平方キロメートル、人口は約340万人 ----- 引用終わり ----- 人口は約340万人と、パリ市内(約217万人)よりも多いものの、パリ都市圏(計約1,184万人)と比べると、こじんまりとしています。 ベルリンと聞いて私が思い浮かべるのは一にブランデンブルグ門、二にベルリンの壁で、後は特に印象はありませんでした。 ただし、昔のドイツの都だったことから、古めかしい大きな建物がかなりあるのではないかという予想は立てていました(パリに赴任する以前からのイメージ) 結果的には半分当たったと言えなくもなかったということになりました。 さて、ベルリンの空港は3つあります。 ①ベルリン・テーゲル国際空港(Tegel International Airport = TXL) ②テンペルホーフ空港(Tempelhof International Airport = THF) ③シェーネフェルト空港(Schönefeld International Airport = SXF) このうち、シェーネフェルト空港は、現在拡張工事中で、2011年にベルリン・ブランデンブルグ国際空港として生まれ変わり、新国際空港の開設に伴い、テーゲル国際空港は閉鎖される予定とのことです。 今回、我々夫婦が到着したのはテーゲル国際空港。 ![]() まあ、割合こじんまりとした空港です。一国の首都の表玄関の空港としては成田やCDGと比べると決して大きいとはいえません。意外でしたが。 さて、空港から、X11というバスで近くのU-Bahn(地下鉄)の駅まで移動し、そこから乗り継ぎ、降りた駅から迷いながら歩いてゆくうちに、お目当ての予約していたホテルが見つかり、早速チェック・インしました。 ホテルの写真は残念ながらありませんが、このホテル、何気にS-BahnのCharlottenburg 駅の近くで、便利な場所にあります。 ホテルの中の部屋も綺麗だったので、満足。 さて、まずはS-Bahnの駅の写真及び列車の写真から。 ![]() ![]() S-Bahnの列車は古いのですが、ドイツ製とあって頑丈な作りです。 乗り心地は優雅さにはかけるものの安定感は抜群、という感じでした。 駅に関しては、まあ欧州の駅というか、簡素な感じです。日本のように自動販売機もなければ売店もない。ただ、駅の表示板が素っ気無くあちこちにあるだけです。いってみれば、日本の田舎のローカル線の無人駅をとことん大きくしたような感じでしょうか。 が、まあこのような駅もある意味自然で良いのでしょう。(と、最近は思い始めています)。 お次はトラム(路面電車)の写真。ちなみに、この路面電車はベルリン近郊の都市、ポツダムで撮影しました。 ![]() ![]() ![]() 路面電車は、欧州のどこのメジャーな都市にもあるので、このポツダムの路面電車に関して特にどうのこうのという感想はありません。 強いて言えば、電車の前面の形が、フランスやベルギー(そして直前に訪問したプラハ)のものよりも丸みが少なく、直線的な感じが、違いと言えるでしょうか? もっとも、ポツダム駅に関して言えば、駅の真ん前にどでんと置かれている電光掲示板の方が私の目を引きました。下の写真です。 ![]() ポツダムは小さな都市なので、ポツダム駅からほぼすべてのトラムとバスが出発、もしくは経由しています。これらのトラムやバスの運行状況がこの電光掲示板に刻々と表示されるので、慣れてくるとかなり便利です。 ちなみに、ここまでおおがかりな電光掲示板を路面電車で運営している国は、私の知る限り、今のところドイツだけです。流石はドイツ、といった感じです。 ちなみに、ポツダム駅の写真はこちら。 ![]() ポツダムへは、ドイツ滞在3日目に訪問しましたが、ベルリンからS-Bahnで、30分少しでつきます。 この町は、所謂ポツダム宣言で有名です。 ----- Wikipediaより引用 ----- ポツダム宣言(ポツダムせんげん、The Potsdam Declaration) 1945年7月26日のポツダム会談での合意に基づいてアメリカ合衆国、中華民国および英国の首脳が、大日本帝国に対して発した第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)に関する13条から成る降伏勧告の宣言。 宣言を発した各国の名をとって「米英支ソ四国共同宣言」ともいう。1945年8月10日、大日本帝国はこの宣言の受け入れを駐スイス大使館経由で連合国側へ申し出、またラジオトウキョウを通じてアナウンス。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で昭和天皇・政府全権の重光葵と大本営全権梅津美治郎が連合国への降伏文書に調印した。なお、降伏文書として宮城県白石市の白石和紙が用いられ、マッカーサー元帥が「紙は千年持つそうだが、この条約も千年持つように。」と言ったとされる。 ----- 引用終わり ----- まあ、言ってみれば日本にとっては歴史的に因縁のある場所ではありますが、この町はポツダム宣言だけの場所ではなく、ドイツの歴代皇帝が好んで過ごした城がいくつもあるところです。 昔のドイツの雰囲気を味わう観光をするのにはもってこいの場所と言えるでしょう。 次回は、ベルリン訪問の様子を書きたいと思います。 ■
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by witchmountain
| 2007-10-28 07:55
| フランスでの生活
フランスに住み始めて2007年11月で2年半。
日本にいた時は結構楽観的に物事を考えていたのですが、この国に来るとどうも気持ちが悲観的になりがちです。 まあ、逆に言うと、日本が「ノー天気」すぎるのかもしれませんが。 最近、気になっているのは「石油ピーク論」です。 石油は有限なものであり、生産供給がいつかはピークを迎える、という説です。 まあ、考えてみれば、私が小学校のころも確か「石油は後40年で枯渇する。」と習った覚えがあるので、この考え方自体は特に違和感を感じません。 問題は、「いつオイルピークを迎えるか」ですが、石油ショックで一時的に需要が大きく落ち込んだことや、新しい油田がアフリカやカスピ海沿岸で発見されたことと重なり、2007年時点では石油はまだ枯渇していません。 しかしながら、石油の価格がじりじりとあがっていることもまた事実です。先日なんぞ、ついに1バレル90ドルを突破しました。 1990年代は1バレル20ドルの時代もあったことを考えれば、隔世の感がします。 ファンド系資金の流入、中東情勢やアフリカ情勢の不安定化、米国原油取引市場の特殊性、ドルの供給過剰に伴うドル表示での原油の価格の上昇等、必ずしも「ピークオイルを過ぎた」から単純に原油価格が上がっているわけでもないことは確かです。 OPECも、おそらく今のドル石油体制のままでは、石油を売って得られる代金が今後価値がまちがいなく下がるドル建てなので、逆に増産したくもないでしょう(増産余力があるかふどうかは別問題とします)。 問題は、世界の石油の産出が1960年代から依然として中東に偏っているという点です。 つまり、世界は中東以上の石油算出地域をこれまでのところ発見できないでいます。 東西冷戦が終わり、旧ソ連地域やアフリカ地域で調査が進められてもこの程度ですから、今後中東並みの大規模な油田を発見できる可能性は殆どないと言って良いでしょう。 (南極や北極なら可能性はありますが、片や氷と雪の大陸、片や氷の海。いくら温暖化が進むとはいっても、採掘は至難の業でしょう・・・) 先日、ドイツの科学者の有志団体が、「石油生産は2006年にピークを迎えた」と結論付けました。 気になるのは、このニュースを、米国のプロパガンダを担っているCNNがネット記事で配信していることです。 米国も、いよいよ将来的な石油枯渇をにらみ、中東に関与し続ける国家戦略を今よりも鮮明に(露骨といっても良いでしょう)打ち出し始めたことは、昨今のイラク情勢やイラン攻撃問題を見ても明らかでしょう。 要するに、米国としては石油の豊富な中東にかの軍隊が居座り続ける理由が必要なのであり、イラクでの混迷を終わらせる気がなく、また仮にイラクでの混迷を終わらせるとしても、その代わりに今度はイランへ攻撃を仕掛け、スンニ派諸国に戦闘機などを売りつける、など、とにかく中東から出るつもりなどないでしょう。 当然のことながら、米国本土と中東までの輸送ルートの確保(大西洋-地中海-スエズ運河-紅海)も確保しようとするでしょうし、一方日本の製油施設は中東産の重質油の処理に適していることから、地政学的な点からも日本-沖縄-台湾-フィリピンまでのシーラインは確実に押さえにかかるでしょう。 米国がなりふりかまわずインドに接近している理由の一つには、中東の隣に位置し、この海域の海上を制圧できる可能性のあるインドを味方につける意味合いもあるでしょう。 逆に中国は、エネルギー資源の浪費国であることがはっきりしているので、米国への敵対は避けられず、米国海軍にユーラシア周辺海域を制圧されている以上、アフリカや中南米に石油を頼ることは危険であり、中国としてはロシアや他のユーラシア大陸諸国、あるいはイランと手を組む他なくなります。 そう考えると、「イラン」という国を巡る欧米(日印)VS中ロの衝突は、仮にイラン戦争が勃発した場合、イラク戦争のように短期間で収束する可能性は殆どなく、むしろ地域戦争に拡大する可能性すら秘めており、米国にとっても極めて危険な賭けであることは間違いありません。 それなのに、何とかしてイランを叩こうとする米国・・・イランを取るか取られるかは、これからやってくるであろう石油枯渇時代を考えた場合、極めて大きな意味を持つからこそ、米国も中ロも躍起であるといえましょう。 しかし、いくらイランを手におさめたとしても、石油の枯渇は恐らく避けられないでしょう。 石油の起源説には、常識的に妥当と考えられている「生物由来説」以外に、「地球内部に膨大に存在する炭素が水素と結合して、地表に染み出してくる。」という「無機起因説」という、要するに夢のような説も昔から唱えられていますが、もし仮に「無機起因説」が正しいとしても、今の生産量を維持することは出来ないということを、現在の石油価格の高止まりは示しています。 そもそも、無機起因説が正しければ、究極的には世界のあらゆる場所で石油が取れるはずですが、現実にはそうではありません。 石油は、今や現代文明の高度な物流(飛行機、トラック、乗用車、船、ロケット)や物資(薬品、肥料、プラスチック等)、エネルギー(火力発電)を支えるのに必要不可欠なものであり、石油という都合の良い物質が枯渇すれば、今の現代文明が崩壊することは目に見えています。 人間の身体に例えてみれば、血液、細胞膜、ブドウ糖等のエネルギー源の元となる物質がなくなるようなものであり、当然のことながら人間は死んでしまいます。 人類は、今から石油の代替物質を速やかに探さない限り、今から10年以内に危機的なエネルギー争奪戦が始まることになります。 私は自動車部品を売っている会社に勤めていますが、今は時代を謳歌している自動車業界も、脱石油に早急に取り組まなければお先は真っ暗と言って良いでしょう。 また、仮に石油以外の動力源(水素、燃料電池、充電式電池、太陽電池等)をうまく開発でき、搭載したとしても、石油があがるということは、他の物資を採掘、移動、加工するコストも上がることにつながるため、今のような売上を維持することは難しいのではないでしょうか? ホンダやトヨタはいち早くハイブリッド車の本格的な発売を2010年頃よりスタートさせると宣言しましたが、ハイブリッド車はそもそも石油依存から脱していないので、自動車業界が生き延びる上での主流とはなりえないでしょう。これはディーゼル車に取り組んでいる欧州自動車業界も同じです(米国の自動車業界はそもそもそのような次世代型自動車の開発がほとんど進んでいないので論外) もし「自動車」が生き残る形があるとすれば、それはダイムラー等が開発を進めている水素(燃料電池)自動車、あるいは三菱自動車が開発を進めている電気自動車あたりになるのではないかと予想しています。 もっとも、現在の水素の製造には同じく将来枯渇する天然ガスが必要であるため、将来的には海水等から水素を取り出す技術の開発が必要になります。 そもそも、「今以上に自動車業界が発展する必要はない。」というのが私の現在の考えです。 (会社の利益には反するでしょうが・・・) 日本に関して言えば、米国と協調を続ける限り、石油の供給が全く止まることはないでしょうが、少なくとも今のコンビニや過剰包装に代表される過剰消費、過剰廃棄は今後10年間以内におそらく今の安価な価格帯では成り立たなくなるため、社会に大きな変革をもたらすと思います。 スローガンで言えば、「成長主義からの訣別」しか日本が生き残る道はありません。 幸いなことに日本は人口減少時代に入っているため、自国の防衛さえしっかりしておけば、他の国、地域ほどの混乱には巻き込まれないと思います。 あとは、日本独自の省資源技術を一国も早く開発し、自然エネルギーをできるだけたくさん今の社会に取り込むことのできる仕組みを作ることが必要ではないでしょうか。 時間はあまりありません。 日本が、今の「お笑い痴呆状態」から一国も早く脱して、真剣に将来の国つくりを考えることが出来るような体制へ移行することを願ってやみません。 ■
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by witchmountain
| 2007-10-28 01:33
| 世界
さて、前回までプラハの市内の地下鉄・ホテルの様子や歴史的な建築物等を紹介してきましたが、今日は少し趣向を変えて、食事&路面電車編へいってみようと思います。
(とは言っても、大して紹介できるものはありませんが・・・) まずは下の写真から(^^)。 ![]() この路面電車は恐らく一昔前の路面電車です。 何故なら、下の写真をご覧ください。 ![]() このタイプの、所謂正面が丸っぽい輪郭の路面電車は、プラハのみならず、ここパリでも見ることが出来ます。 何故丸っぽい輪郭なのか?と聞かれると、私も困るのですが、理由としてはデザインが柔らかく見えるのと、成形技術の発達でこのような丸みをおびたデザインが可能になったこと、があるのかもしれません。 考えてみれば、最近の車のデザインもみな丸みを帯びていますが、その理由としては、見栄えもよく、耐久性にも優れ(最悪前世代のものと同等)、コスト的にも安くなってきているのでしょう。 時代が進んでいると言えば進んでいるということでしょうか。 ちなみに、路面電車はチェコでは結局乗る機会がありませんでした。 お次はビール。 ![]() このビールはチェコ発祥のピルスナー(Pilsner)ビール(グラスにPilsner Urquellと彫られています)。 ちなみに、Pilsnerビールがどのようなものか、Wikipediaの記事を紹介したいと思います(少し短いですが)。 ----- Wikipediaより引用 ----- ピルスナー 元祖ピルスナーのピルスナー・ウルケルピルスナーとは、チェコのピルゼン地方を発祥とするビールのスタイルの一種である。淡色の下面発酵ビールであり、ホップの苦味を特長とする。 現在、世界中で醸造されているビールの大半はピルスナースタイルである。 日本の状況 日本でビールといえばピルスナースタイルのビールを指すことが大半である。大手ビール会社が醸造、販売するビールもほぼ全てがピルスナースタイルのビールとなる。 ----- 引用終わり ----- なお、書いているうちに思い出しましたが、キリンが確かピルスナービールをベースに、原点に戻ったという触れ込みの新しいビール(名前は忘れました)を今年発売したと聞きました。 但し、少しヨーロッパ通で少しビール好きの私から言わせれば、一番美味しかったのは実は(この記事でこんなことを書くのも難ですが)プラハのピルスナービールではありませんでした。 では一番美味しかったビールはどこかと聞かれれば、私は迷うことなく「ベルリンのビール」と答えます。 ボン、ケルン、ボローニャ、ミラノ、ベネチア、ロンドン、プラハ、ガンガリー、ブダペスト、ブカレスト、バルセロナ、パリ、ミュンヘン、ウィーン・・・ヨーロッパの数々の場所でビールを飲んできた私のお勧めは、ずばり、ベルリンのビールです。 とはいえ、この記事はあくまでもプラハ紹介の記事なのでこれ以上は言いませんが・・・(^^) 結論から言えばプラハのビールはそこそこ美味しかったものの、洗練されたという味ではなく、どちらかというと原点の味ではないかと感じました。その意味では(ベルリンとは違い)良き伝統を守り通しているといえると思います。 ちなみに、下の写真はPilsner Urquellの缶ビール版です。 ![]() なお、この缶ビールはある事件(^^)が勃発したため、残念ながら味わうことは出来ませんでしたが、まあとにかくこのビールはなかなかの味であったと言っておきましょう。 最後に、プラハ日誌の締めくくりとしてもう一枚の写真をお見せしたいと思います。 ![]() この写真は、プラハにある、ある店の外観を取ったものです。 名前は「DM」。実は、嫁さんがドイツで「ALDI」の次に好きな店です。 まあ、売っているものは生活用品プラスアルファといった感じですが、中には「LOIBOOS TEA」のような優れものが置いてあります。(しかも値段が安い!) この店が、プラハにもあるので、いささかびっくりしましたが、考えてみればチェコはドイツの隣。 冷戦が終わった今、ドイツの企業がチェコに進出していてもおかしくないわけですが、うーん、かつての鉄のカーテンの時代がなくなってよかったのかどうか、少し複雑な気持ちになりました。 まあ、ということでプラハ編は終わりです。 次は、いよいよ、おおとりのベルリン編へ行ってみたいと思います。(^^) ■
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by witchmountain
| 2007-10-12 03:18
| フランスでの生活
![]() 今日、嫁さんが非常に楽しみにしていた「ほぼ日手帳」が届きました。(上の写真) 「ほぼ日手帳」は、私も嫁さんから初めて聞いたのですが、何でも最近かなりの人気が出ているようです。 参考までに、Wikipediaでは「ほぼ日」の製造元の「ほぼ日イトイ新聞」を次のように紹介しています。 ----- Wikipediaより引用 ----- ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼにっかんイトイしんぶん)は、コピーライターの糸井重里(通称「darling(ダーリン)」)が主宰し、株式会社東京糸井重里事務所によって運営されているウェブサイトである。 一般にほぼ日(ほぼにち)と略されており、サイト内での通称としても公称されている。 「ほぼ日刊」と称してはいるもの、発足した1998年以来、毎日何らかのコンテンツが更新されている。コンテンツは業界、ジャンルを問わない著名人から、一般人まで幅広い層の人物が執筆を手がけている。また、糸井重里自身がゲストを招き、対談を行うコンテンツも多様な業界の人物が訪れる。登場した人物の一例として、荒俣宏、川上弘美、坂本龍一、さくらももこ、萩本欽一、鈴木敏夫、立川談志、タモリ、矢沢永吉、松本人志など。 グッズとして、多くの企画商品を開発と販売を、大手のメーカーと協力して行っており、Tシャツ、カレンダー、システム手帳など多岐に渡る商品制作が行われている。特に「ほぼ日手帳」と呼ばれるシステム手帳は、サイト黎明期からユーザーの様々な意見を取り入れ完成された人気グッズとなり、「進化する手帳」として現在でも毎年改良を重ねながら販売され続けている。また、コンテンツから誕生した書籍が、数多く発行されているほか、DCカードと提携した「ほぼ日クレジットカード」まで発行された(現在新規発行は終了)。また、日清食品とセブンイレブンと共同で、ほぼ日公式のカップラーメン「サルのおせっかい」を制作、販売した事もある。 ----- 引用終わり ----- 糸井って、あの変な顔をしたおっさんか、等と考えながら、あらためてこの手帳をじっくり見てみることに。 手帳のサイズは、本体のみではほぼ文庫本の大きさですが、これにブックカバーをつけると少し大きくなります。 まあ、システム手帳よりは小さいですし、これまで私が使っていたフランス製の小さな手帳よりは遥かにスペースが多いので、大きさにさえ慣れればかなり使いやすそうです。 ちなみに、手帳本体は次のように収納されます。 ![]() そして、開いてみると、次のようになります。デザインがなかなか可愛いです。 ![]() さあて、これからどのように使っていくか、また一つ楽しみが増えたような気がします。 お次は、一緒に届いたボールペン。 ![]() このボールペン、嫁さんが大のお気に入りで、事あるごとに「欲しい欲しい」と言っていて、私もつられて買ってしまいました。 実際触ってみると、ボールペンの芯が4本、さらにはシャーペンの芯まで入っているのにもかかわらず、そんなに重くはありません。 ペンの出し入れも、書き心地も良いです。 嫁さんの話では、もっと高級なタイプもあるそうですが・・・私は、とにかくこのペンをこれから使いまくろうと思います。(^^) ■
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by witchmountain
| 2007-10-11 02:28
| フランスでの生活
最近、自宅で「ローマ人の物語」の新潮文庫版をちまちまと読んでいます。 このシリーズのことを初めて知ったのが、ひばりが丘の、とある本屋をぶらぶらしていた時のこと。 元々歴史物は好きだったので、安さにも釣られて、ついつい購入したのが読み始めたきっかけでした。 何気に文庫本は全巻持っていますが、最初の十数巻は日本の倉庫に置いてきてしまったので、今こちらで読んでいるのはティベリウス帝以降のものです。 この「ローマ人の物語」、著者の主観が入っていて気に入らないという人がいるようですが、このシリーズは著者ご本人が言っている様にいわゆる「歴史本」ではないので、主観が入っていても構わないということになります。 もちろん、取り上げている歴史的事実は多岐に渡るため、ローマの歴史を勉強するのにも最適ですが、2000年近い昔のことで、映像や録音の類もないため、歴史的に多少あいまいな部分があるのは否めません。 著者はその部分にうまく彼女なりの(そしてそれなりに説得力のある)主観を織り交ぜて、叙述しています。 賛否両論はあるかもしれませんが、かなりの名作と言っていいでしょう。 ちなみに私はどちらかというとローマ帝国よりも、東ローマ帝国の方が好きでした。 東ローマ帝国(途中からローマを奪われてしまったので、ビザンツ帝国と呼ばれますが)は1000年以上の歴史を持つ、まさしく奇跡の帝国でした。 東ローマ帝国と比べると、ローマ帝国なんてたいしたことないじゃん、と高校生のころは歴史の地図帳を見ながら思っていました。(今から見れば非常に浅はかな考えだったのですが) この「ローマ人物語」を読むと、当時のローマ帝国が、高速道路の敷設や戦闘の進め方等で、いかに先進的であったかわかります。 何故このような帝国が、他の欧州諸国から馬鹿にされているイタリア人の祖先から生まれたのか、不思議ですが・・・ さて、このローマ帝国を現代のアメリカと比較する人がいるようです。 個人的には、次期大統領がひらりクリントン決まった時点で、ブッシュ-クリントンの世襲政治が始まり、カエサル→アウグスツゥス→ティベリウスで始まったローマ帝政ならぬアメリカ帝政(もちろん、表向きは民主主義ですが)になるのではないかと感じています。 もっともアメリカが帝政に移行したどころで、ローマのようにますます領土を拡大して発展することはなさそうです。 ローマ帝国は蛮族の侵入や軍事力の弱体により衰退しましたが、この裏にはローマ市民権という、ローマにとっては極めて経済的な優遇制度の魅力がなくなってしまったからだといわれています。 要はこれまで金を払わなくても「ローマ市民権」という優遇制度をエサに、非ローマ市民を格安の給料で軍隊で使っていたのが、ローマが拡大をやめ、またローマ市民権のばらまき政策をカラカラ帝が実施した結果、ローマ市民権に魅力がなくなってしまい、結果的に軍人を給料を上げざるを得なくなり、ローマは財政的に破綻してしまったということです。 アメリカにとっての「ローマ市民権」とは「自由開放市場」にあたるのでしょうか。 従い、「自由市場」から「保護主義」になった時点で、アメリカは今の影響力を保持できなくなるのではないかと思っています。 ローマと比較するのであれば、アメリカが取り得る選択肢は、自国のみで運営していた「自由解放市場」を他の国々に広げようという試みです。クリントン政権時代に、この動きがアジア通貨危機等となって起こり、アジアはアメリカの経済的支配下に入りました(中東は既に入っています)が、ローマとは違って明白な軍事力の行使が出来ない(あるいはしない)ため、完全な移行には(NAFTAを除いて)至っていません。アメリカの次のターゲットである中国やEUはいずれも抵抗しています。またロシアはアメリカに危うくやられそうになりましたが、近年になり逆にアメリカを追い出すことに成功しました。 今の時間の流れは、ローマ帝国時代と比べるとはるかに早いため、アメリカはローマのように長い間覇権を維持することは出来ないでしょう。 問題は、ローマの場合、帝国崩壊後、西側では混乱が続いたことです。東側は東ローマ帝国が存続していたため、安定していました。 アメリカの覇権が崩れた場合、もっとも混乱するのは今までアメリカの強い影響下にあったアジア(特に中東)でしょう。その時、日本はどうなるのか・・・ 歴史に鑑みれば日本はこれからどう進むべきか・・・「ローマ人の物語」を読んでいるといろいろ考えさせられます。 ■
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by witchmountain
| 2007-10-09 18:20
| フランスでの生活
![]() 10月6日の土曜日の夕方に嫁さんと二人で「バイオハザード3(Resident Evil Extinction)」を見てきました。 前半が砂漠でのからすなどとの戦い、後半が廃墟と課したラスベガスでのスーパーゾンビ及びタイラントもどきとの最終決戦。 嫁さんは「後半だけ面白かった。」と若干不満顔でしたが、私は結構楽しめました。 ただ、出だしがいかにもB級映画っぽかったので、大丈夫かなと少しはらはらしましたが・・・ ただ、ウェスカーが中年デブリすぎて威圧感が全くなくゲームのイメージからかけ離れていた点、また最後の東京メトロの駅のシーンで、駅の看板が滅茶苦茶(中国漢字名があんなに大きいわけないだろ)だったことが鼻につきましたが・・・ さて、バイオ映画シリーズは公式にはこれで終わったことになっていますが、ソニー曰く「予想以上に売上が伸びれば、バイオ4も検討したい。その場合は、Claire Redfield等の生存者を中心とした別ストーリーになるであろう。」とのこと。 また、皆様のアイドルであるレオン・ケネディも出てくるかもしれないとのことです。(いずれの情報もWikipedia Englishより) まあ、私はそれよりもゲームの「バイオハザード5」の方が気になるのですが・・・ ■
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by witchmountain
| 2007-10-07 02:33
| 映画
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